古事記から読み解く心理学(4/8)

古事記から読み解く心理学 公演案内
陽亭(ひなたてい)

概要

陽亭(ひなたてい)は、名古屋を中心に活動する手相鑑定士「楯 恭徳 (Yoshinori Tate)」の占い用ブランドサイトです。イベント情報や公演情報を主に告知しております。 「占いが初めての方に優しい手相」をを理念として丁寧な鑑定、公演を行なっております。

日本の神話を知ると とても生きやすくなる(^^)
【古事記から読み解く心理学】を藤本 絹代先生の茶話会でお話しさせていただきます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

会場

大阪市 東淀川区 東中島1-20-12
ユニゾーン新大阪 915号室
(新大阪駅 東出口 正面ビル)
Googleマップ

日時

2017年4月8日(土)
13時30分から16時30分まで

会費

5,000円(当日6,000円)

お申し込み、お問い合わせ

メール:otoiawase@takoya.nagoya
または、下記フォームよりお気軽にどうぞ。


「申込講座名」に「古事記から読み解く心理学」
「受講希望日」に「4月8日」とお知らせください。


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みなさん、三重県の県名の由来はご存知ですか?
神代の昔、ヤマトタケルノミコト(倭建命または日本武尊)が伊吹山にて山の神との闘いに敗れ、大和の宮に敗走する際、現在の四日市で『吾が足は三重の勾(みえのまがり)の如(ごと)くして 甚(はなは)だ疲れたり』とのたまったのが通説となっています。
古事記で倭建命の敗走ルートを辿ると伊吹山を下山し米原の醒ヶ井(さめがい)又は関ヶ原の辺りで【居醒の清水(いざめのしみず)】を飲み 意識が回復したと言われています。
その後 岐阜県養老町から三重県桑名市多度町に入り四日市采女町辺りに入り先の台詞を残します。
その後 鈴鹿市から亀山市にまたがるのぼの(能煩悩または能褒野)に至り、ここで力尽きた。
能褒野に陵(お墓)を造り皆が嘆き悲しむと一羽の白鳥が空に舞い上がり、大和の国に向かい飛んで行った。

さて!
倭建命の父である景行天皇は当時の都を奈良市から天理市辺りに移しているらしいが【 都 】と言えば 奈良を指すことは間違いが無いはず。
ここで1つの疑問が…
伊吹山の神に敗れボロボロになった倭建命はなぜ 琵琶湖周りルートを取らなかったのか?
醒ヶ井は現在で言えば国道21号線、現国道ルートで考えると米原から国道8号線に入り、彦根〜近江八幡〜野洲〜守山〜栗東〜草津〜瀬田〜大津から京都に入り南下するルートの方が道程はなだらかな気がする。
確かに滋賀ー京都の山道は険しくも感じるが 亀山から伊賀越えで奈良に入る方が更に険しく長い山道になるはず。
さらには一旦、桑名(くわな)に戻っているのだから、何故、七里の渡し(しちりのわたし)から海路を使って愛妻のミヤズヒメ(宮簀媛 又は 美夜受比売)の待つ熱田(あつた)の地に戻らなかったのか?

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